日中・太平洋戦争
パール判事とチャンドラ・ボース(Ⅰ)
東京裁判「パール判決」の思想的背景を解明する
ISBN
978-4-8150-2946-3
発売日
2021年11月1日
ページ数
80ページ
出版社
デザインエッグ
内容紹介
昨今、歴史修正主義の流れが止まるところを知らない。現状において歴史修正主義の潮流は、大ざっぱに言って二つの潮流がある。一つには米国共和党系の対ルーズベルト外交批判を淵源とするものと、もう一つは東京裁判における『パール判決』を淵源とする日本国内における歴史修正主義の潮流である。
そこで日本国内における歴史修正主義の潮流であるが、これは主に東京裁判(史観)を否定しようというものである。これを主張する歴史修正主義者たちの主たる拠り所は、東京裁判の判事であったパール判事が、日本人被告・全員無罪を主張した「パール判決(意見書)」である。第二次世界大戦の終結直後、パール判事は、1946年5月、英領インド植民地政府代表として東京裁判に参加することになったが、祖国インドは、ガンジー、ネルーらインド国民会議派の指導の下に、反英独立非暴力闘争の最終段階に来ていた。
他方、インド独立運動には、海外亡命者を中心とするもう一つのグループが存在しており、武力闘争によるインドの独立運動を展開していた。この武闘派のグループの中心的リーダーが、日本に亡命していたビハリ・ボースであり、C・ボースであった。この二人のボースは、日本政府(東條内閣)の強力な支援の下で、自由印度仮政府を樹立していた。このグループは、ドイツ・日本などの枢軸陣営の勝利を信じており、枢軸陣営の側に立って、英領インドの武力による解放を実現しようと画策していた。実際にも、日本軍主導の下に、インド国民軍はインパール作戦に参加し、英領インドの武力による解放を目論んだが、惨憺たる敗北を喫した。
当時、パール判事は、同郷のベンガル人であるチャンドラ・ボースの反英独立武力闘争に対する熱烈な支持者であり、枢軸陣営の勝利を願っていた。パール判事としては、反英独立運動に対して強力な援助を惜しまなかった東條首相を、戦争犯罪人として裁くことは、一人のインド人として断じて認められないことであった。
枢軸陣営の勝利を熱烈に願っていたパール判事としては、連合国陣営の側に立つ英領インド政府を代表するということは、大きな自己矛盾であった。
つまり「パール判決」は、枢軸陣営の側に立ったパール自身の政治的立場から書かれたものであり、彼の言う「正義の観念」は、祖国インドの独立こそが最大の正義であった。インド・ナショナリズムという限定的な「正義の観念」であった。
そこで日本国内における歴史修正主義の潮流であるが、これは主に東京裁判(史観)を否定しようというものである。これを主張する歴史修正主義者たちの主たる拠り所は、東京裁判の判事であったパール判事が、日本人被告・全員無罪を主張した「パール判決(意見書)」である。第二次世界大戦の終結直後、パール判事は、1946年5月、英領インド植民地政府代表として東京裁判に参加することになったが、祖国インドは、ガンジー、ネルーらインド国民会議派の指導の下に、反英独立非暴力闘争の最終段階に来ていた。
他方、インド独立運動には、海外亡命者を中心とするもう一つのグループが存在しており、武力闘争によるインドの独立運動を展開していた。この武闘派のグループの中心的リーダーが、日本に亡命していたビハリ・ボースであり、C・ボースであった。この二人のボースは、日本政府(東條内閣)の強力な支援の下で、自由印度仮政府を樹立していた。このグループは、ドイツ・日本などの枢軸陣営の勝利を信じており、枢軸陣営の側に立って、英領インドの武力による解放を実現しようと画策していた。実際にも、日本軍主導の下に、インド国民軍はインパール作戦に参加し、英領インドの武力による解放を目論んだが、惨憺たる敗北を喫した。
当時、パール判事は、同郷のベンガル人であるチャンドラ・ボースの反英独立武力闘争に対する熱烈な支持者であり、枢軸陣営の勝利を願っていた。パール判事としては、反英独立運動に対して強力な援助を惜しまなかった東條首相を、戦争犯罪人として裁くことは、一人のインド人として断じて認められないことであった。
枢軸陣営の勝利を熱烈に願っていたパール判事としては、連合国陣営の側に立つ英領インド政府を代表するということは、大きな自己矛盾であった。
つまり「パール判決」は、枢軸陣営の側に立ったパール自身の政治的立場から書かれたものであり、彼の言う「正義の観念」は、祖国インドの独立こそが最大の正義であった。インド・ナショナリズムという限定的な「正義の観念」であった。
著者紹介
近現代史学習資料刊行会・代表
目次
- 01 はじめにー一つの歴史修正主義批判ー
- 02 一、S・チャンドラ・ボース「インドは遠からず解放されるであろう」(一)
- 03 二、S・チャンドラ・ボース「インドは遠からず解放されるであろう」(ニ)
- 04 三、S・チャンドラ・ボース「インドは遠からず解放されるであろう」(三)
- 05 四、東條首相「インド独立に全幅の協力をせん」
- 06 五、ラス・ビハリ・ボース「東條首相の大東亜宣言」
- 07 六、ラス・ビハリ・ボース『独立の闘争』
- 08 七、パール博士『平和の宣言』第一部「アジアの良心」
- 09 八、ラス・ビハリ・ボース『独立インドの黎明』
- 10 九、大川周明講演「インド進軍・激励の辞」
- 11 十、S・チャンドラ・ボース講演「独立インドへの道」
- 12 十一、インパール作戦の悲劇的結末
- 13 十二、書評(一)中里成章『パル判事ーインド・ナショナリズムと東京裁判ー』の画期的意義
- 14 十三、書評(二)吉松正勝編『日本は無罪なり・戦史を破るー太平洋戦争正邪の批判ー』
- 15 十四、「パール判決」の問題点はどこにあるのか
- 16 参考資料
- 17 近現代史学習資料刊行会(出版案内)
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